月と6ペンス
本を整理していたら出てきたので読んだ。
当時読んだときは中学生、今は成人している。10年程度経ったぐらいか。
あのときは未熟だったが、間違っていたわけではない。
今の感性は成長しているが、当時の感性は別の形としてしっかりと成立していた。
価値観が少し変わった今と昔では全く違った捉え方で本を読める。
あのときももちろん面白くて、内容を忘れたわけではないが、今現在読んでみると登場人物全員の感情の機微が、詳細に分かる。
受け取れる情報量が倍以上になった感覚だ。
周りの評価を気にしない、ということはもはや今の自分には不可能だ。
周りの評価を気にしない自分、というふうに繕っている自分が俯瞰視点から見えてしまう。
今の世の価値観に当てられた、自分が持っているものは世の価値観と違うと繕っている自分が見えてしまう。
自分が自分の後ろから見て嘲り嗤っている。
きっとこの感覚は生涯消えることがないだろう。
少し疲れて、少し壊れた感性でこの世の中を普通に生きるのは難しそうだから、もう少し世俗から離れて生きようと思う。
例えば狩猟免許をとって、人があまりいないところで自立した、不自由ない暮らしをしよう。
ストリックランドが選んだ道は幸福の道だろうか。今でもたまに考える。自分がやりたいことがあっても、不自由なくある程度保証された、一般的な幸福を享受することができた。
今の僕にはやりたいことが山ほどあるけど、それを達成できない自分が嫌だから目を背けて興味をない振りをする。
最初からなにもしなければ無限の可能性が残るんだ。
そんなことはやめたほうがいいことはわかっている。
とりあえず梅雨が過ぎたらお金を貯めて、原付でゆっくり旅でもしよう。